7/9 アインシュタインの苦悩

1955(昭和30)年  核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言が発表。同宣言にはアルベルト・アインシュタイン理論物理学者,バートランド・ラッセル論理哲学者、数学者ハーマン・J・マラー生理学者湯川ゆかわ秀樹ひでき理論物理学者を含む多くのノーベル賞受賞者が著名しております.これを発表した3か月ほど前にアインシュタインが没しており、アインシュタインが人類に放った遺言状ともいえる。(引用)私たちの前途には――もし私たちが選べば――幸福や知識、知恵のたえまない進歩が広がっています。私たちはその代わりに、自分たちの争いを忘れられないからといって、死を選ぶのでしょうか?私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のことは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。

決議:私たちはこの会議に、そしてこの会議を通じて、世界の科学者、および一般の人々に対して、以下の決議に賛同するよう呼びかけます。

「私たちは、将来起こり得るいかなる世界戦争においても核兵器は必ず使用されるであろうという事実、そして、そのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実に鑑み、世界の諸政府に対し、世界戦争によっては自分たちの目的を遂げることはできないと認識し、それを公に認めることを強く要請する。また、それゆえに私たちは、世界の諸政府に対し、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のために平和的な手段を見いだすことを強く要請する。」

1949年にノーベル物理学賞を受賞したあとの湯川秀樹*⁶がプリンストン高等研究所に招かれたとき、さっそく湯川のいる研究室を訪ねます。そこで、70歳になろうかというアインシュタインは湯川の両手を握り締め、泣きながら何度もこう繰り返したということ…。

「原爆で罪もない人たちを傷つけてしまった。どうか許してほしい」と。

原爆はいわば、アインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論、そして「E = mc2」という公式を基にした兵器と言っていいでしょう。そのことは彼自身が一番知っていたはずです。1954年、死の前年には「もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式を破棄していただろう」とも語ったそうです.アインシュタインの原爆への関わりは、第2次大戦時、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた原爆開発を促す手紙に署名をしたことだけでした。しかもその手紙を起草したのは、ハンガリーからのユダヤ人亡命者シラードだったのです。アインシュタインは当時最も有名な科学者であったため、この手紙に記名することでアメリカ政府の重要視するところとなり、原爆開発がスタートしたというわけです。そんな絡み方だからこそ、悔やんでも悔やみきれなかったのでしょう。よって前出のように、アインシュタインは湯川秀樹に詫びることに至ったというわけです。

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