6/2明智光秀の魅力

6/2天正10年6月2日、京都・本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣だった明智光秀の謀反によって襲撃された本能寺の変が起こりました!天正10年(1582年)3月、信長は甲斐(現在の山梨県)へ侵攻し、長年の宿敵だった武田氏を滅ぼしました。天下統一の手応えをつかみ、意気揚々と安土に帰還した信長でしたが、まもなく部下の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に任せていた中国攻めで毛利氏の大規模な反攻が始まり、応援を要請されます。信長はすぐさま同じ部下の明智光秀に出陣を命じ、自身もその準備にとりかかる中、京都へ向かいました。このとき、信長が連れていたのはわずかな手勢のみで、配下の諸将は皆、各地で奮戦中でした。この間隙を突き、中国地方へ向かったはずの明智光秀が突如、反旗を翻したのです。光秀は6月2日の早朝、信長の宿所だった本能寺を襲撃、信長は焼け落ちる寺の中で自刃したとされています。この「本能寺の変」は、誰もが知る歴史的大事件でありながら、「明智光秀の犯行動機」がまったく解明されておらず、真相はいまも謎に包まれたままです。いまだに背景については諸説あるこの一大事件!歴史が変わる時って、不思議な魅力があります。  参照:https://toyokeizai.net/articles/-/167293

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